雑記

ALTとは「アシスタントランゲージティーチャー」のことで、一般的には外国人の先生と解釈されています。
日本人の教員だけではやりにくい微妙な英作文の添削をしてくれたり、異文化に関する比較的リアルタイムな情報を児童生徒に提供してくれる頼もしいサポーターです。


……そのはずなのですが。


実際のところ、現場の先生方はALTの先生(あ、"先生"で反復してるなこれ)を持て余していることが多めです。
「ああ、次はALTの先生とやらなきゃいけないのか」
この「やらなきゃいけない」という言葉を何度聞いたことか。
助けとなるはずのALTであるはずなのに、その存在が重荷になっている。
無論、現場の教職員のALTを活かす力が不足しているという現状もあります。
しかし、それだけの問題ではなかったりします。
一番大きな問題は、ALTの能力ややる気に、「非常に」ムラがあることです。
ものすごくやる気があって、「次の授業でこんなことやらせてくれないかな」とか「作ってほしい教材あったら言ってね」とか言ってくれる先生がいたかと思えば、ひたすらパッシブ(受動的)な先生もいます。
「歌をうたいたいんだけど」と提案したら、「私は歌うのが好きじゃない」と答える。
「こんな教材を作ってくれないか」と提案して、「わかった」と言っておきながら準備を怠ったり。
体感ですが、アジア系のALTの方が真面目な人が多い気がします。(偏見のもとになるので、あまりこう言うのもよくないのですが……)
「好きなことはやるけど、やりたくないことはやらない」というスタンスでやってくるALTが多すぎます。まぁ気持ちはわかるんですけれども。
だから、ALTについては、よくガチャガチャで例えられることが多い。
ほとんどがハズレであって、ごくごくまれに素晴らしい人がやってくる。
たしかに飽くまで「アシスタント」という位置づけであるのですが、いること自体が負担と感じる人が多い現状はどうしたものかと考えることも多々。「アイツはやる気がねぇ」と、英語担当教員が愚痴を漏らすのを何度聞いたことか。
あと、「外国人の先生がきたら授業がつぶれて遊べる!」と児童生徒が思ってしまうのも問題だよなぁ。そればっかりで過ごしてきたせいでそういう感覚が根付いているのだとしたら、長い目で見た計画でのALTとの授業を考える必要もあるんじゃなかろうか。
現場の人からしたら、ぶっちゃけALTとの授業をどういうふうにとらえているんだろうね。
うまく使用できれば、とても大きな助けになるのは間違いないのだろうけど。