雑記

だった模様です。
火星といえば「イリヤの空UFOの夏」を思い出しますね。
多感な高校生という時期に、秋山瑞人氏の作品を読めたことは僥倖でした。



実は以前冗談半分で書いた、フローラル・ザ・ニューカマー(小説)を執筆中。
プロローグだけ書いてみたけど、久しぶりに書いてみるとやっぱり楽しいです。
地の文って難しいなぁ。登場人物の心情を書けばいいのか、今いる風景を書けばいいのか、場面を煽って盛り上げればいいのか。
基礎的な知識もなく、わが道を行くほど恥ずかしいことはなし。型破りというのは型を知って初めて成り立つって誰かが言ってた。



最近流行りのなろう系作品の中には、「こんな地の文の書き方でいいの!?」という作品も少なくありません。
そういう作品に限って書籍化もされて、しかもやたらと売れていたりするあたり、人気の出る作品は魅力的な世界観とキャラありきなのかなという気がします。
こんなふうに書くと、ラノベにイチャモンつける今どきの意識高い系おっさんに見えますが、私自身別にラノベ的文体が嫌いということはありません。むしろラノベは大好きです。
高校時代には夏目漱石とか川端康成とか芥川龍之介とか、国語の先生に読んどけと言われた作品は結構読みましたが、ああいった純文学の文体を賛美しまくった挙句ラノベを鼻で笑う方々とは、たぶんお友達になれません。
とはいえ、文章の様式(←もっといい単語ないかな?)を無視しすぎるのもまた微妙なところです。
一人称と三人称がぐっちゃぐちゃに混ざった地の文とか、やたら感嘆符や疑問符が出てくる地の文とか。
地の文にキャラの独白がやたらめったら多かったりすると、食傷が治まりません。くるしい。
崩しも大切ですが、様式も大切にしなければなりません。
様式がしっかりして一貫している作品というのは、内容の難易度を問わず、非常に読みやすいです。
純文学だろうとラノベだろうと、すらすらと読める作品というのはそれだけで楽しいものです。
たとえば、お約束をしっかりと地の文で押さえてくれる作品はいいですね。
「お菓子の家に入った子ども」のシーンを描くとすれば、どう地の文で描くでしょう。
一例としては、「登場人物の視線の流れを追いかけるように目につくであろうものを順に描く」といったところでしょうか。
主人公と五感を共有している読者が「自分がとるであろう行動」を地の文で促されると、ストンと場面が頭の中に入ってきます。
突飛すぎる描写をするのではなく、ある程度のお約束を押さえておくというわけですね。好き勝手書いているだけではこうはいきません。
とはいえ、執筆というのは自己表現であって、極論自慰行為なわけですから、何をどう書こうが筆者の勝手です。
売れるもの、面白いものを書いた人が正義なのであって、それに対して難癖つけるように「文体ガー」とか「様式ガー」なんていうのはナンセンス。私自身、人にあれこれ言えるほどそんな整った文体をしていません。
落としどころがわからなくなってしまいました。
とにかく、なろう系作品は玉石混交。あふれかえる作品の山の中から、名作傑作問題作が発掘されるのが楽しみですね。



(なろう系タイトル、『〇〇した件』とか『××したんだが?』ってタイトル多くない?)