雑記

タイトルには書きましたが、自己啓発とかそういう話ではないです。もっと俗な記事。
僕らが眠っている間に見る、あの「夢」ですね。あれを見るポイントというのを紹介したいなぁと思いまして。
ガクジュツテキ調査に基づいたものではなく、すべて経験談によるものですので、それは間違っていると言われてしまうと否定できません。
でも、人によっては、「あぁ言われてみればそうだな」という内容もあるかもしれません。あったらいいなあと思いながら書いています。
まず、僕が昨夜見た夢の流れを書きます。いくつか見たのですが、大きいものをひとつ。長いです。


車に乗って学校(公園?)に行く夢。運転しているのは、僕ではない男性の誰か。行きがてら間違って細い道に曲がって入ってしまい、すかさずバックで引き返す。ハンドルを切る際、後輪が脇に流れる小さな川に落ちそうだった。某ア○ガミの森島先輩をそこで拾い、車で家に帰ろうとしたところ、車内に猫の鳴き声が。どうやら先輩が隠れて仔猫を持ち帰っていたらしい。捨ててこさせるわけにもいかず、とりあえず家まで持って帰ることにする。帰りがけの車内にて、仔猫が爪ととぎたがり、僕の背中を使って爪とぎを始める。20回近く引っかかれ、リアルな痛みがあった。傷の場所を手でさわってみると、血か組織液かよくわからないものがべったりとついた。家に着いたら、家族全員で掃除を始める。おそらく、家に女性が来ることなんて珍しかったから。自分は風呂掃除と風呂の準備をする。現在の自宅のバスタブよりも、一回り大きくて深いバスタブ(鈍色)が設置されていた。父いわく、「わしが買ってきて取り付けといた」とのこと。バスタブを見た瞬間、風呂の風景が現在の改装後のものではなく、改装前の浴室の風景に変わった。風呂の準備をしていたら、父、兄、弟(※現実では弟などいない)が裸で風呂に入ってきた。入れ替わりに風呂場から出て、鏡の前に行きドライヤーを手に取る。鏡を見ると、肩ぐらいまで髪を伸ばした金髪の自分がいた。肌はやや日に焼けていた。見たことないドライヤーで髪を乾かし歯を磨く。歯を磨く際に、歯磨き粉と間違えてシャンプーをつけてしまい、水で何度も洗い流す羽目に。食卓に戻ると、自分の分のわずかな食事(寿司)を残して、その場には森島先輩と母がいた。そこで話をするうちに「ああ、これって夢なんだ」という意識が強く出てきた。先輩が言うには、この世界の自分は勉強は中の下くらいで、昔からずっと髪を染めているらしい。「あれ? じゃあこのまま行けば見た目と中身のギャップで楽しいことになるんじゃね?」って思っていたら、夢がフェードアウト。別の夢へと切り替わりました。

長いわ。
夢の内容を見るに、なるほどなぁと自分で思う出来事がチラホラ。
夢というものは、記憶の整理であると理解してよいと考えます。新しく起きた出来事、経験などは私たちの脳に記憶として残されるわけですが、寝ている間にその出来事が脳内で整理されます。パソコンのデフラグをイメージするといいかもしれません。
そのデフラグ過程で、新しい記憶と古い記憶とがごちゃまぜになります。荒唐無稽、支離滅裂な夢のストーリーが完成します。そして眠りが浅いときに限り、この夢の内容をとらえることができるわけです。覚えていられる、といったほうがよいでしょうか。
自分の昨夜の夢についてですが、前の晩と、一度起きてからの出来事が関係しているように思えます。
 ア○ガミ ……寝る前、まさにこの人のシナリオをプレイ(恥)
 3兄弟  ……夕飯のとき、テレビで柔道3兄弟の特集をやっていたから、それを見たせい?
 金髪   ……寝る前に読んだ暗殺教室のせい? 或いは単なる変身願望?
 ドライヤー……前の晩、引っ越す時にドライヤーも買わないといけないなという話を家族としていた。
 風呂場  ……二度寝する前、「洗濯機にズボンの金具が挟まってとれない」と母に呼ばれ、浴室付近の洗濯機でガチャガチャしたのが関係?
その他の要素については、過去にあった出来事と関わっている気がします。新旧の情報が入り混じって、夢が出来ていました。



ここで本題の「夢を見る方法」について。
ポイントは2つあります。経験則ですが。

 1. 二度寝すること。
 2. 新鮮な経験を仕入れること。

この2つです。
二度寝すると、どうしても眠りが浅くなります。夢というのはこの眠りが浅い状態、いわゆるレム睡眠の状態にみられるといわれます。ならば、本気の長時間睡眠よりは、二度寝のほうが夢を見る確率は高くなるはずです。
ここで、狙った夢を見られるかもしれない方法について。まだ実証済みではありませんが、一度目の眠りと二度目の眠りの間に何らかの経験を挿むことで、その経験に関する夢を見られるようになる、気がします。
眠っている時間を使って1日の間に得た情報を整理するわけですから、眠りと眠りの間に得た情報が制限されれば、ある程度狙った夢を見られるのではないかと考えられます。
ならば毎晩狙った通りのエロい夢が見られるのかというと、そういうわけでもありません。ここで2つ目のポイントが大切になってきます。
僕らの脳みそというのは非常によくできていて、新鮮な記憶ほど克明に脳みそに刻まれる傾向があります。
子どもの頃はよく夢を見ていたのに、大人になって見なくなった。そう思ったことはありませんか?
子どもの頃というものは、あらゆることに未経験です。目に入る景色、耳に届く音、肌に伝わる痛み、すべてが新しい情報となりえます。怒涛のように新しい情報が入るのですから、そりゃ毎晩夢を見ます。
自分の小さい頃は、怖い夢を見るのがイヤだったので、いつも仰向けで眠っていた記憶があります。横向きで寝たときの脈の音がイヤだったからです。あの音のリズムが怖い夢を誘発させていた、気がします。
一方で、大人になるとすべてが新鮮味にあふれるというわけにはいきません。私たちが見聞きするものは、私たちが既にどこかで体験した出来事の再体験に過ぎない、といったケースが増えてきます。
そうなってくると、脳みそは「あ、これ同じやつだ。わざわざ留めなくてもいいわ」と判断してしまいます。そうなってくると、その出来事の夢への影響は非常に小さくなります。
かつて自分がニュージーランドでホームステイをしたとき、1ヶ月近く連続で夢を見続けたのは忘れもしません。それだけ新鮮な経験というのは、自分たちの認識外ですさまじい刺激を脳に与えているということです。(2008〜9年3月頃だったかな? 多分日記に書いているハズ)
さてさて、ここまで読んでくださった方ならば、一体どうすれば狙った夢が見られるか、なんとなく予想はついたと思います。
一度目と二度目の眠りの間に、「初見かつインパクトの強いモノ」を経験として仕入れること。
おそらく、これですね。
例えば、「お気に入りのエロ本(未読)を買っておき、一度寝て、途中強引に起き、二度寝する前にじっくり読んで記憶として留める」といった行為をすれば、それらしい夢を見る可能性は非常に高まるのではないかと考えます。
ただし、飽くまで「それらしい夢」になる可能性が高いだけです。当然、夢は過去の記憶もごちゃまぜになるわけですから、「女の子にエロいことをしようとしている自分の夢」ではなく、「知らない男にエロいことされようとしている自分♂」の夢になることもあるわけです。1人称視点(当事者)になるか、3人称視点(傍観者)になるかもわかりません。まぁ、だからこそ不確定で面白いわけですが。


・・・。


長ったらしく書いてきましたが、経験則に拠るところが大きい記事ですので、絶対にそうだと断言することは難しいです。
もし興味をもって試してみようという方が一人でもいたらうれしいなぁ、といった次第で。
(毎晩エロい夢が見たいという男性諸君はどれくらいいるのかしら?)