雑記

受けようと思っている企業の一次面接の日程が決まりました。
4月21日の水曜日です。グループ面接みたいですね。
気になったのは、エントリーシートを面接開始30分前に書かねばならないという点。
自己PR、長所短所、大学時代打ち込んだこと、etc...あたりはいつでも書けるor言えるようにしとかなきゃね。





ストーリーを盛り上げ、説得力を生む論理的なつながり。
これをカタカナ4文字でなんと呼ぶでしょう?




はい、「プロット」ですね。
文芸部に所属している自分がサークル活動の中で得たものを語るとしたら、まぁこのあたりになりますね。
プロットのない語りというのは、得てして冗長になってしまいがちです。
小説を書くときでも、人に物を語るときでも、ロジカルな構成というのは求められます。
とりわけ、「何か面白い話をしてください」と言われたときなんかは大変ですね。
「あれがあって、これがあって、それでこうして……」というふうに、くどくど語っていたのではつまらない。
どこを盛り上げるのか、そのためにどういう構成にするのか、どんな言葉を使うのか。
そこから考えていかにゃならんわけですね。
演出というのは大変です。




よく面接で、「ありのままの自分を見てもらいたい」という人がいます。
それを聞くたびに、「なんだかなぁ」と思ってしまう今日この頃。
理由はふたつあります。
まずひとつめに、面接というのは本質まで見てもらうだけの時間がないこと。
とりわけ一次面接などとなると、一人当たりに与えられる時間というのは5〜6分程度ということもザラです。
そのなかで、「本当の性格」を見て評価してもらうというのは、おそらく無理です。
ふたつめに、「そのありのままの自分というのは、そこまで自信がもてるものなのか?」ということ。
パフォーマンスや広報戦略というものを軽視しすぎてるんじゃないかなぁ、という思いに由来します。
自分をよく見せる努力を怠ってありのままの自分で勝負するというのはいかがなものか。
面接なんてものは一瞬です。よくもわるくも、パフォーマンスによってよく見せることができるんです。
バレたらどうするのか? いいえ、バレなきゃいいんです。
嘘を吐くわけではなく、よく見せるだけ。要は女性のお化粧と一緒です。
女性のお化粧というのは、自分をよく見せるためにするんですから、そこに嘘もなにもありません。
「よく見せる」ことを放棄するのはいかがなものなのかなぁ、と。
そんなことを思ってしまうわけです。



まぁこんなことを書くのも、ひとえに自分に他人よりすごいぜって能力がないからなんですけどね。
内容で勝てないのであれば、パフォーマンスで勝負。
どこまでいけるか楽しみです。