雑記

うーあー、困った、どうしよう。一度決めたハズなのに、またまた迷いが生まれてきました。主に併願するか否かってことで。我ながら優柔不断だとは思いますけれども……んんんん。
面接だけ受けてみてあとは辞退するっていうのは可能なんだろうか。情報が少なすぎますね。卒業した先輩とかに聞いてみようかしら。もしくは、講座の担当スタッフの方に聞いてみるか。
モチベーションが高くなってくるにつれて、「確実に合格したい」という欲求が益益強くなってきたんですよね。手段を選んでいられないというか、なんというのか、出来るだけの努力はしたいというか……。
出願だけしておいて、行くか行かないかは後で考えるのがベターなのかな。


いじめについて少し勉強しました。
まず、いじめるという行動はある意味人間のもつ攻撃性に基づいているため、「いじめをなくす」ことは不可能であること。だけど、「いじめを未然に予防ないし早期発見する努力」は可能であること。そのため、教師は目の前で起こりうる、もしくは起こっているであろう出来事に常に意識を向ける必要があるということですね。
もうひとつ、こっちはかなりショッキングな考え方だったのですが、「いじめる生徒にも救いがないといけない」というものです。今までの僕には足りない考え方だったので、聞いた瞬間、脳みそが揺さぶられた感じがしましたね。
いじめをする生徒も人間だということですね。いじめをした後になって「自分がしてしまったこと」に対して怯え、自分を責め、酷い時には自傷行為に及んでしまうケースも少なくないそうです。子どもは得てして、いじめをしている最中というのは感覚がマヒしてしまい、自分がどれだけ酷なことをしているのかわからなくなるそうです。それで、後日自分が何をしていたのかを改めて誰か(主に教師)に言われるか、それがどんな影響(自殺に追い込んでしまった等…)を及ぼしたのかを知った瞬間、強烈な自責の念に駆られて精神的に参ってしまうということです。世の中では、いじめられた子が自殺に走ってしまうというのが一般的なようですが、いじめた子が自殺に走ってしまうということもあるそうで。
いじめというものは、善悪でいうならばいじめる側が一方的に悪いと思います。だけど、だからといっていじめをしてしまった生徒に対して救いの機会を与えないというのはどこか寂しいものがあります。いじめをした子には、自分がしてしまったことを認識してもらうと同時に、自分の価値を見つめなおしてもらわねばなりません。
いじめをする子に足りないのは、自分を肯定的に見つめる心、そして他人を肯定的に見つめる心だといわれます。自分を好きになれない人が、他人を好きになれるでしょうか。
今日は、あらためて教育の難しさを知りました。