ギャルゲ

気を取り直して……。
Dear My Friend」プレイ中。月夜シナリオ読破。
とりあえず言っておく。「いじめ、かっこわるい」よ。
ちょっと前の「リトバス」の三枝シナリオの時にも思ったことなのだけど、どんな理由があろうが他者をひどく傷つけていい理由にはならないんだってこと。なんとなく、あの時もやもやしてたのはこの辺が原因なのかな。性善説は信じたいけど、現実には難しい。
ええと、シナリオの出来としたらかなり良いのではないかと。終盤バカップル化した主人公達を見るのも楽しかったですし、その後の展開も良し。「麻衣よりも優遇されてんじゃね?」と疑ってしまうくらいの出来でした。だって、あの展開は本当にメインヒロインのものでしょうよ。具体的に言うと、命を分け与える力だとか、死にかけるけど奇蹟が起きてよみがえるとか。そんな感じです。
で、次は……都香か? 別にいらない子ではないと思うが、そこまで気乗りしないのもまた事実也。良い意味で予想を裏切ってくれることを願おう。


ところで、昔はギャルゲーというのはプレイヤーが主人公になりきってハァハァするゲームなんじゃないかと思っていたわけですが、最近は別の見方をしています。
や、問題はハァハァの部分ではなくて、「なりきって」の部分。僕は、このギャルゲーというのは、むしろ紡がれるお話の傍観者になるゲームなんじゃないかなぁと思ってます。つまり、本を読む感覚と一緒なのではないのかということです。
物語の中途で挿まれる選択肢にしても、別に「俺だったらこっちを選ぶ」じゃなくて、「こっちの展開が気になる」という基準で選ぶものだと思います。仮想の世界だからこそ許されるifというか、選択肢の向こう側の世界を覗ける嬉しさというか、その辺りの喜びが心地よいんですよね、とても。
主人公と意識を共有することによって喜怒哀楽を得ることは当然あり得るわけですが、それらは飽くまで副次的なものであって、むしろ世界を楽しみたいという好奇心こそが根っこなんじゃないかなぁということです。
どーでもいいことですが、そんなことを思いました。


む……だとしたら、濡れ場まで傍観するのは出刃亀もいいとこだ。
いや、あれは傍観なのか? いやでも、主人公の視点であるわけなんだから主体はあっちで……まてまて、じゃあディスプレイの前に居るのは……?
なんかもうわからなくなってきたのでもういいや。