雑記

父方の実家の倉庫に眠っていたという、40年物の梅干を食す。
40年物の泡盛といえばものすごくドキドキするのだけど、こっちは違う意味でドキドキしています。
食べてみたところ、若干塩気が強いだけの普通の梅干でした。しおの ちからって すげー。
わかる人が食べれば違いがわかるのでしょうけど、自分にとってはふつうの梅干でした。



ワインなんかだと、「〜〜年の〇〇は素晴らしい」ということで、モノによってはものすごい値段がついていることがあります。
実際ものすごく美味しい。なんで美味しいのか、何がどう作用して美味しいのかさっぱりわからないレベルです。
同じものは二度と作れないし、時間はただ過ぎていくだけ。
ヴィンテージワインと呼ばれるものであっても、飲む人がいる以上、時間とともに同じものはどんどん減っていくわけで。
だから人はそこに価値を見出すし、味わいたい、飲んでみたいという気持ちにもなります。
「飲んでみたい」っていう衝動は、歴史を前後に見つめる情動だと思います。
同じボトルが、地球上にあと何本あるだろうか。今生きている人間の中で、これを味わえる金と機会を得られる者がどれくらいいるだろうか。彼らはどんな気持ちで味わったのか。私はどんな気持ちで味わえるのか。
美味い不味いだけではなく、「地球の記憶に残る行動をするのだ」というエクスタシーがどこか無意識にあるんじゃないかなあ、って。
もし、今から自分が飲まんとするワインが、地球上に残された最後のワインだとしたら、それはどんな味がするんだろう。