雑記

「最強寒波到来」という語句のわかりやすさとバカっぽさが好き。
最強って言葉にはロマンが詰まっていると思います。
誰もが必ず一度は最強を目指すんです。
でも、すべてのスキルに経験値を与えようとしたら、時間が足りません。
だから、必要なスキルだけに振ります。とがっていきます。
ところが、気づいてみれば結構広く浅く経験をふりわけていたり。
とがったつもりがまるくなっています。
一極集中のつもりが気づいたら器用貧乏に。
ゲームなんかでは器用貧乏は敬遠されがちですが、リアルだといてくれると結構助かったりします。
なんでもできる人って格好いいと思う。



ミロのヴィーナスというものがあります。
両腕の欠損にも関わらず、なおも神々しい母性を感じさせるその均整のとれたいでたち。
さらには、もともとの両腕はどのような形をとっていたのかという疑問は、我々の思考をはるか太古へとイデアの翼で羽ばたかせます。
さいころは裸体であることにオギオギしたものですが、今ではその芸術性がわかるような気がします。
ダヴィデ像しかり、ミロのヴィーナスしかり。
ヒトのもつ力強さ、根源的な美しさを表現しようと思えば、裸体に勝るものはないのでしょうか。



と、ここで思考実験です。
仮に布きれを一枚を作品に被せてみるとしましょう。
その布きれの形は、我々が調理時に使うものに似ているかもしれません。
そう、たとえばエプロンのような――。
このときもしも……もしもですよ? ヴィーナス像にピンクのエプロンが被せてみましょう。
果たしてその時、芸術性はエロと成るのか。
裸体は芸術であり、エプロンを着るとエロなのか。
「露出はどこまでが芸術なのか」という命題を我々は投げかけられているわけです。
研究班による今後の研究の展開が期待されます。



ヴィーナスあるいはダヴィデ像にエプロンを着させるコラ画像を作ろうかと考えましたが、なんか雷に打たれそうな気がしたのでやめておきました。