雑記

えらい寒波が来てるみたいですね。雪こそ降りはしなかったものの、一日中こたつにもぐりっぱなしでした。
こたつといえば、昨夜はこたつで朝まで眠ってしまいました。卒論を書いていて、ちょっと休憩しようと横になったとたんに睡魔がぐおおおおっと。
朝の6時くらいに目が覚めたのですが、ぶっちゃけ寝た気がしませんでした。夢見が悪かったのもあるのだけど、こう、下半身に布団による重みのない状態と、床が硬い状態と相まって、なかなかの寝づらさでした。一度寝たら朝までぐっすりというわけにはいきませんね。


卒論の話になるのですが、僕は詩におけるナンセンスというものを研究しています。ナンセンスとは、一言でいうならば意味のないこと。さらにいえば、滑稽なこと、無駄なこと、愚かなこと。その辺の意味も含みます。
僕が卒論でやっているのは、英詩においてナンセンスを醸し出すであろうテクニックを我流で提案・試行・分析し、それを使って実際に詩をつくってみて検証してみるというものです。自分で言うのもなんですが、非常にクリエイティブです。
やっていることがやっていることなので、僕はあまり論文というものを読みません。先行研究でどんなものがあるか、興味ないといえば嘘になりますが、まずは自分なりの読み方、考え方というのを大事にしていきたいんですよね。
もちろん専門分野に関する論文を読んで知見を広げておくのは大切なことです。が、僕がやっているのは創作とか解釈とかそのへんのことです。したがって、脳が白紙に近い今の状態でそういった他者の考えやアイデア、またそれに関する考察などを見てしまっては、独自のモノが作れなくなる気がするんですよね。小学生のころは、美術の教科書の手本を見ては、それを模倣しまくってたクチですし。
まぁ、言ってしまえば、「こんなの面白いんじゃね?」というアイデアを書きつらねてはそのナンセンス具合を確かめる、ということの繰り返しなわけです。今のところは、3つくらい試行が完成しています。あと4つか5つは欲しいところですね。
ここのところ詰まっているのが、解釈の必要なナンセンス作品はナンセンスであるのか、ということです。ルイス・キャロルMy Fairyという詩を読んでいるのですが、どうもこれがまた手強い。単純なナンセンスとして読んでしまえば簡単な詩なのだけど、解釈の如何によっては部分的に教育的な要素というか、宗教的な教えというものが見え隠れしてしまうんです。つまり、読み方によってはナンセンスでもあり、センスでもあってしまうんです。ナンセンスな文体でセンスな事柄を仄めかす・・・それはナンセンス作品なのでしょうか? 作品の含意を読み取ってもらうのを読者に求めるような作品は、ナンセンスなのか。そこが難しいところなんですよね。
でも、あまり根を詰めすぎると、ナンセンスの定義の話になってしまうので、それだけはなんとしても避けたいところです。ナンセンスの定義とかやりだすと、それだけで論文がひとつ書けるそうですし。
まぁ、困ることも多いですが、頑張ってます。最近になってやっと論文を書くのが楽しくなってきました。慣れってすごいですよね。