雑記

帰宅しました。やっぱり自分の部屋は落ち着きますね。
ほんとは昨夜帰ってきてたんですけど、疲れてたので更新はやめときました。


さて、何から書いたものか。
まぁ、簡単に簡単に書いいこうか。


一日目。月曜日ですね。
自宅から車で約4時間。祖母の家に到着しました。親戚がたくさん来ていてにぎやかでした。
従兄弟にあたるお姉さんが来ていたのですが、なんと子どもが生まれていました。2歳の男の子でした。めがっさ可愛かったです。やかましくもありましたけど。あの高周波はどうにかならないものなのか。
従兄弟と顔をあわせたのは久しぶりでしたね。姉・姉・弟の三姉弟で、一番下が19歳で一番上が25歳です。さっきの男の子はこの一番上のお姉さんの子ですね。6〜7年ぶりだったか、本当に懐かしかったです。
仏壇の前に棺桶がありました。顔にあたる部分のふたを開いてみると、そこにはすっかりやせ細った祖父の姿が。しばらく30秒くらい見た後、ふたを閉じました。
悲しかったのですが、涙は出ませんでした。祖母に祖父が逝った時の話を聞きました。妻と3人の息子の全員に見守られて息を引き取ったそうです。「とうに涙は出尽くしたっちゃ」と祖母は言っていました。
午後8時くらいに前通夜が始まりました。あの形式は浄土真宗特有のものなんでしょうかね。その場にいる人間が坊主を一緒にお経を読むという不思議な形式でした。「なぁぁんむあぁぁんみだぁぁぶつぅぅ」と何回言ったことやら。というか、ぶっちゃけ途中で寝てました。念仏がやけにリズミカルだったんですよ。お経というより歌みたいな。
晩になって、他の親戚達が次々と集まってきます。ひとつの家に16人。夜寝るときはほとんど雑魚寝でしたね。寝られないということはありませんでしたけど。
そういえば、小学校3年生の男の子が来ていたのですが、みょ〜にその子に懐かれてしまいました。気がついたら自分の周りをうろついていて、ちらちらとこちらを見て構ってほしそうにしてるんですよね。まぁ、特に嫌う理由もなかったのでフルパワーで構ってあげました。ちょうどDSを持っていっていたので、マリオカートで対戦して遊びました。
初めのうちは負けっぱなしでした。ですが、三日目には圧倒しました。大人気なくても本気でぶつかるのが礼儀だと思います。まぁ、バトルモードは勝てませんでしたけど。



二日目。火葬と通夜。
この日は6時くらいに起きました。眠かったです。
スケジュールは、火葬→昼食→通夜ですね。一番最初に火葬してしまうというのには驚かされました。葬儀の後にするものたばかり思っていたので、「えっ、いきなり?」という感じでした。
午前8時くらい、レンタルしたバスに乗って一同は火葬場へ。建物に入った瞬間、線香のにおいが鼻につきました。
棺桶の中に花を入れ、最後のお別れをします。そのときになって始めて涙腺と鼻の奥がジンと痛くなりました。何人か涙を流して泣いている人もいました。
棺桶をキャリアーに載せて焼き場の中へ送ります。火をいれるスイッチは、喪主のジュンおじさんが押していました。このときが一番悲しかったです。「ああ、これで終わるんだ」という寂しい思いとともに、「おつかれさまでした」という思いが胸の奥に渦巻いていました。
約1時間半、待合室で火葬が終わるのを待ちます。アルコールがたくさん出ていたせいで、なかば酒盛りのような感じでした。テーブルがふたつあって、片方はすげー賑やか。もう片方はすげー静かでした。ちなみに僕がいたのは後者のテーブルです。伯父と父と叔父、一体どんな気持ちでいたのでしょうね。
待ち時間の間、暇だったので外に出て蝉の声を聞いていたら、煙突から白い煙が立ち昇っていました。それを見ていたいとこの姉が子どもを抱きながら言っていました。「えーちゃん、おじいちゃんにバイバイしようね」と。
火葬が終わり、骨を箱に入れます。人間の骨を見たのは多分初めてです。色は真っ白ではなく、やや黄色がかっていました。最初は足の骨、次に腰、胸、そして頭といったように、下から上の順に骨を納めていきます。骨ははしでつまんで入れました。
日が高く上ったころに昼食です。町内の集会所にあたる場所で、地元ボランティアの皆さんが作った料理に舌鼓を打ちました。水曜日の晩までここで食事をいただいたのですが、ガッチガチの精進料理でした。生臭モノなぞご法度、タンパク質なぞ豆腐で十分といわんばかりの野菜尽くしでした。しかも食べっぷりが気に入られたのか、「これ余っとるから食べてくださいねぇ」と、回避不可の強制お代わりイベントまで起こる始末。好き嫌いがなくてよかったなぁと思いました。
晩には通夜。お坊さんが4人くらい来て、月曜の晩と同じようなお経を延々と読み、お説教をして下さいました(ん? くださ「り」ましたかな?)。親族代表の挨拶をしてお通夜は終了。座布団とかをささっと片付けて帰宅しました。
その後は、ちょっとした酒盛り大会。どうやら父の実家では、葬式の際には酒盛りをするのが慣習のようです。おじいさんおばあさんの中に混じっていっぱいお話しました。
理由はさっぱりわからないのですが、僕はお年寄りに気に入られます。今回も酒の席でいっぱい誉められました。礼儀とかそのへんはいつも気をつけているので、そこを誉められるのは嬉しいのですが、おばあちゃん方の言う「かわいいわねぇ」というのはどういう評価なのでしょう。反応の仕方がわからなかったので、「誉めても何もでませんよぅ?」とか「恐縮っす」とか、無難な返事をしておきました。
そんな感じで二日目終了。小学校3年の男の子に「いっしょに風呂入るか?」と声を掛けてみたのですが、あっさり振られてしまいました。おじいちゃんと入る、とのことでした。ショック。



三日目。葬儀の日。
朝の10時くらいから葬儀が始まりました。やることはほとんど通夜と同じでしたが、お焼香がある点だけが大きく違いましたね。
まぁ、取り立てて大きな出来事はありませんでした。相変わらず坊主が四人だったのと、僧衣がやたらきらびやかだったのとが印象的でしたね。あ、祖母から聞いたのですが、お坊さんひとりにつき代金が約5〜6万円だそうです。これが一日あたりのお金だったとしたら、葬儀は約1時間だったので、時給5〜6万ということになりますね。ジュン叔父さんが「坊主丸儲けだのう」と言っていたのが印象的です。
葬儀の後はお片付け。1時間もしないうちに葬儀場が田舎の集会所へと早変わり。畳があったので前回り受身をして遊んでいたら、2歳の子に笑われました。
昼食は相変わらず精進してました。「肉が食べたい……」と、父が嘆いてました。
昼が過ぎてから親戚が次々に帰宅。静かになった屋内でDSをやってました。例の小学校の子がスクリーンを覗き込んでくるのですが、僕がやっていたのは「世界樹の迷宮?」です。「漢字が読めへん」と言っていたので、仕方なくフルボイスでプレイして見せてあげました。疲れました。
そういえばこの子、困ったことにイエスとノーがはっきりと言えない子でした。「アイス食べる?」と尋ねたときも、はにかむように首を傾げるだけで、言葉を発しませんでした。しかし不思議なことに、ゲームをすると急に饒舌になります。今まで黙っていたのが何だったのかというくらいに嬉しそうにゲームの実況(?)や説明をしてくれます。全体的に落ち着きがなかったし、ADHDか何かがあったのかも。



四日目。帰宅した日。木曜日。
朝から昼まで香典の整理をしてました。誰が、何を、どれだけ下さったのかをメモしておくことで、今度その送り主が亡くなった時の参考にするそうです。
3時間くらいかけてカウントしたのですが、計算した値と実際に数えた値とで1000円の誤差が……。お咎めはありませんでしたが、すっきりしませんでした。
午後3時半くらいに家に向けて出発しました。祖母には「また遊びにくる」としっかり言っておきました。そして、「美味しい野菜準備して待っといてよ」とも言っておきました。泣かすのではなく、笑わせて別れること。これが僕のポリシーですね。NZの時もそうでした。
来年の夏くらいには遊びに行きたいものですね。何してるのかなぁ、来年の自分。



充実した4日間でした。



<おまけ>
3日目の夕食時。


 僕「この味噌汁めっちゃおいしい……」
おば「そうでしょう〜? 隠し味がポイントなのよ」
 僕「隠し味?」
おば「そうそう。醤油をね、2、3滴たらすの。そしたら10倍美味しくなるのよ」
 僕「じゃあ、5、6滴たらしたら100倍ですか?」