雑記

明日は東日本は大荒れの模様で。気圧配置図を見たら東の海上にえらいでっかい低気圧がありましたねー。雪でも降るのかしら、4月なのに。
今日は珍しく勉強をしていました。やったのは主に世界史で、イギリス産業革命・フランス人権宣言・アメリカ独立・中国史・インド史の概略です。3時間くらいかなぁ。
やっぱり「書く」という作業は必要なんだなーって思いました。そりゃ余分に時間はかかってしまうけど、やった後の達成感というか、自分の学習の記録が目に見える形で残るのは嬉しいものですよ。たとえ頭に残っていなくても(残さないといかんわけですが…)、「勉強した」ことは間違いないわけですから、今後の意欲向上に繋がります。
「書く」作業は、「見る」ことによるインプットと「書く」ことによるアウトプットが同時に起こります。このふたつの入力・出力がきっちり行われているかどうかで学習の効果というのは変わってきます。暗記なんかをする場合、よく「字を読む」だけになってしまいがちですが、そこに「声を出して読む」ことを加えることによって、視覚からのインプットと声に出すことのアウトプット、そしてさらに聴覚からのインプットが得られるわけですね。細かい原理は端折りますが、インプット・アウトプットは多ければ多いほど良いそうです。イラストなんかを使って覚えるのも視覚を使ったインプットのひとつですよね。
「書く」ことの問題点は、時間がかかることですね。書くのが楽しければよいのですが、勉強というのは得てして楽しくないものでして、なんらかの手を加えないといい感じに動機付けは為されません。先に言った「成果が残る」ことも動機付けのひとつですね。これは、いわゆる高次の欲求の満足にカテゴライズされるのかな?
話はちょいと変わりますが、主に小さい子なんかに勉強させるのであれば、最も手っ取り早いのが「ご褒美」です。ご褒美の形は多種多様です。頭を撫でてやってもよいし、何かを買い与えてやってもよいです。ただしご褒美を与えるのであれば、事前に「○○できたら△△あげる」と予告するのではなく、達成後に子どもが予期していなかったご褒美を与えることです。この子どもに「予告しない」というのがポイントです。なぜ、そうなのかは「予告する場合」と「予告しない場合」とで例を考えてみれば、おのずと分かるはずです。つまり、好子(その行動を増やす要因、簡単に言えば自分にとって好ましい要素)の消失を阻止しようとする心の動きをうまく利用することで、子どもの能動的行動を鼓舞するということですね。モノで釣ることは決して悪いことではないと僕は思っています。モノが目的で行動したとしても、何かをやり遂げたという結果は残るわけですから。いずれ、その子にとっての好子が変化する時期というのか来るはずです。モノが得られる喜びから、何かをやり遂げる喜びに変化するということですね。価値の変容とでもいうべきでしょうか。
なんかえらく話が脱線してしまいしたが、何かを続けようとするのであれば、「結果」が得られることが大事だということですね。よく僕なんかは行動が続かないことを自己管理能力の無さや能力の無さに帰属してしまいがちですが、何が悪いかって行動に結果がうまく伴っていないことなんですよね。行動に結果を与える仕組み(行動随伴性というそうです)をどう改良するかが大切だということです。
とりあえず、小さな結果を得るところから始めてみようかな……。教採に受かるのが大きな結果だけど、そこまで持続できるようになんとか小さな結果を得たいところです。


らしくないことをダラダラと書いてますね……昔にも書いた気がするけど、まぁ自己への戒めというわけで。たまにはいいかな。