雑記

つらつらと、つらつらと。
ここで書くのは……1ヶ月ぶり? Oh...
修士論文のほうは、まぁまずまずといったところです。
やろうと思っていた量の3分の1程度しか進んでいないため、尻に鞭打たねばなるまい。
しかし、欲しいと思う本に限って近所の大学図書館にはないという。
Webcatを使ってよく検索するのですが、同志社大とか名古屋大にはいい本がそろってますね。
インターライブラリーローンで借りてみようか。



最近、大学院研究室の友人のひとりが、部屋内で浮きまくっています。
いいやつなんです。おおらかだし、頭も切れるし、頼みごともよくきいてくれる。
でも、致命的に聞き下手なんですね。
自分の言いたいこと、やりたいこと、それらをどうしても優先して行動してしまうため、周りの人からは顰蹙を買うこともしばしば。
デートに行ったはいいが、自分の計画していたプランを優先させすぎた結果、一緒に行った女の子がヘトヘトになってしまった話も記憶に新しいです。
客観的に自分をみることができない、っていう短所があるのです。
そしてなにより気の毒なのは、それを向き合って伝えてくれる人がいないこと。
というのも、同じ院部屋に所属しているメンバーは、「言っても聞いてくれない」ことをわかっているからです。
自分の強いところはガンガンアピールするのに、自分の弱いところは認めたがらない。
聞き下手ということからは若干話がそれてしまいましたが、彼のすべての問題は、その聞き下手なところに由来していると思うのです。



ここにきて突然ですが、自分的人物4類型:


話し上手:友達をつくりやすい
話し下手:友達をつくりにくい
聞き上手:友達を失いにくい
聞き下手:友達を失いやすい


あながち、間違っていないとも思うのですが、いかがでしょう?
最近自分は、何かしゃべるときは、話す内容を一噛みニ噛みしてから話すようにしています。
「これしゃべったらどんな反応するだろう?」と考えること。
ある意味、小学生が教わることですが、改めて考えてみるとその難しさに気づきます。
普段の相手の行動・言動を観察して言葉を選ばねばならないわけですから。
しかし、よい言葉が思い浮かばないこともあります。
ふさわしい言葉が思い浮かばないときは、黙ります。
最近になって、沈黙もコミュニケーション戦略のひとつなんだなぁと気づきました。
おかげで、ゼミの先生を怒らせることが少なくなりました。


自分はあまり話し上手という方ではありませんが、少なくとも聞き上手ではありたいと思います。




余談。
人間関係について、同じ研究室のOと話す機会がありました。さっきの人とは別人です。
それは、いかにして人の愚痴を聞くか、というもの。
愚痴というのはあまり良いものではないと思われがちですが、必ずしもそうとは限りません。
内に溜まったストレスを、言語化して吐き出すことで、ある程度発散させることができます。
生産性はなくとも、たまった心の澱をきれいに拭い去る効果があるわけですね。
話すだけでもけっこう楽になります。
そして、上手に聞いてくれる人がいれば、効果はさらに上がります。


で、


そんなとき、愚痴を聞くとき、どういう態度をとればいいか、以前Oと話しました。
やっていいこと、やってはいけないこと。そのふたつを軸に話し合いました。


<やっていいこと>
・相槌を打つ。
・相手の発言を反復する。
・状況・詳細を尋ねる質問をする。
・頷き、沈黙する。


<やってはいけないこと>
・「その気持ちわかるよ」と安易な共感をする。
・「頑張れ」と言う。
・解決策を提案する。
・問題の所在を求める。


特に、「解決策の提案」というのはやるべきではない、とふたりの間で一致しました。
愚痴のというのは、一種のカタルシス、発散的なものです。おそらく相手はそこに生産を求めていません。
親身になって協力してあげようとするあまり、「こうしたらどうだろう?」と言ってしまいがちなわけですね。
相手が「どうしたらいいと思う?」と聞いてきた場合は話が別ですが、単なる愚痴のつもりで話しているのに、解決策を提案されても相手としてはどうしようもありません。その解決策がすんなりとれないから思い悩んでいるのですから。
なので、ああしたらどうだこうしたらどうだと聞き手が考える必要はありません。真面目に聞いてあげるだけで、十分仕事は果たしているわけですね。


んん、なんか偉ぶっていろいろ書いてしまいました。
まぁ、ブログというのはこういうものなのでしょう。たぶん。
それでは、また。